アニソン事始め

今でこそ、世の中は猫も杓子もアニソン商売、であるが、
何事にも「始めた人」はいる。

そんな人の証言を聞く催しがあった。

俗にオーラル・ヒストリーと呼ばれる研究手法を、
公開客入れでやるようなもの。興味があったので、行ってきた。

好き者30人ほどを前に、その方……元朝日ソノラマの
「アニメソノシートの産みの親」「アニソンという市場を作った男」橋本一郎氏は、
本来なら墓場にまで持って行ってもおかしくない話を大開帳した。
2時間が、あっという間!

橋本氏は、講演中はあくまで終始一貫して「アニソン」と言い続けたのが印象的だった。
感覚が若いか、あるいは今また隆盛のジャンルの市場を最初に作った自負が、あるからだろう。
 

昭和30年代、世は新聞社バブル。
儲かって仕方がない朝日新聞社が、子会社を作った。
後の「朝日ソノラマ」である。
生産が楽で安価なペラペラレコード、ソノシートを登録商標して、
書店流通でソノシート付きの「音の出る雑誌」を作っていた。

ソノシートは、いわゆる通常のレコードに比べりゃ音は良くないが、
製造が簡単で、値段は安い。かつ書店の流通に乗せられる利点があった。
ちなみに氏の証言によれば、当時書店は全国に2万軒、対してレコ屋は4~5000軒だったという。
その頃に出たアナログ盤のジャケで、当時の定価を見れば解るが、安いもんではない。贅沢品だ。
平均月収が15000円とかの時代に、LP盤なんか、下手すれば今のCDアルバムの値段と大差ないのである。
しかし、ソノシートは安かった。300円しなかったのだ。ここにアニメ番組との親和性が、あった。

ソウルフルな社員だった橋本氏は、上に嫌われて、上司一人だけのスタジオ雑用の閑職にいたという。
しかし嗅覚を生かし、かの国産初のテレビアニメ、鉄腕アトムの主題歌ソノシート自社発売……はおろか、
旧来のレコード会社からレコードも出させない「独占契約」に成功。第一弾がいきなりミリオンになった。

さぁ、そこからがすごい。橋本氏は、軒並みテレビアニメの主題歌の「独占契約」を続けて、
「ミスター独占」と呼ばれるように。

ちなみに、逆のような気がしていたのだが、意外やこの時代、著作権は「ザル」ではなく、
逆に「あらゆる関係者を回ってひとつひとつ取って行かねばならない」時代だったそうな。
管理団体や会社がある今より、事務処理的にはキツかったという。

ある歌手の「レコード会社専属」を解くために、単身ナベプロに乗り込んだ話などは、
聞くだに恐ろしすぎた。
「当時のナベプロってのは、今のバーニングとジャニーズとエイベックスを
合わせたのより、まだすごいと思います」(橋本氏・談)

そしてそれに付随するのが、「8マン」アニメ化時における桑田次郎(作者)の話。
前述のナベプロ所属歌手と講談社の権利をクリアして、桑田邸に乗り込んだ橋本氏は、
そこで桑田氏が某レコード会社からつかまされた、裏金にぶち当たってしまう。
曰く「だからおたくからは出せないんだ」。

しかし、ここからがすごい。
当時、年に自分の年収の5倍(!)の交際費を使えた橋本氏は、
その裏金と同じ額のゲンナマを桑田氏に投入し「これでその会社にカネを返してくれ。
あなたがもらった分は使っていいから」と迫り、事実そのようになってw
エイトマンは朝日ソノラマから発売。もちろん、売れた。
 

アニソンが商売になると解ると、実際、橋本氏の所にも、朝日ソノラマ独占を破るために、
ありとあらゆる裏工作が他レコード会社から持ち込まれる。裏金積むことはもちろん、
自動車のキーをポンと渡されたこともあったとか。

しかし橋本氏は(昔は知らないが、今は)非常に温和な笑顔で、言ってのけた。
「そういうのを一度貰えば、この世界では絶対足元すくわれるのは、解ってましたから」

 
このように、コクがありすぎる話が、頻出した。以下、ごく一部を要約したい。

「『狼少年ケン』の時、小林亜星さん(実質のアニソンデビュー)に会って、曲を聞いて
すごい人が出てきたと思った。あのすぐ後にCM界では三木鶏郎さんに引導を渡してしまいましたよね」

「『上高田少年合唱団』と『西六郷少年少女合唱団』の違い、ってのはですね……
(面白い話だったが、長くなりすぎるので割愛)」

「『ジャングル大帝』の時は、猛反対しました。歌がないなんて! と。
冨田勲さんという人は亜星さんとは違って、もう慶応の学生の頃から
頭角を現してて、こっちの世界じゃ名は知られてた。だけど実験的だし、
「主題歌」を作れる人じゃない、と私は思ってました。現に『ジャングル大帝』は
歌じゃないから売れなかったですよ。でもね、冨田さんも発奮したんだろうね。
『リボンの騎士』の主題歌には、本当に参ったと思いましたね」

「オバQの時はレコード会社との競合だったんです。権利を小学館が一本化したから。
でも、6社(注・当時レコード会社は8社あったが、うち2社は、そういう「版権物」は一切
出さない純血主義だったそうである。そのうちの1社が、かのキングレコードであった……つうのは、
今にしてみりゃ嘘みたいな話)は多くて2万枚しか(最低保証を)提示してないと聞いたんですよ。
もし全社から同時に出たって12万ですからね。こっちは実績があるし、作った市場を荒らされてなるか、と。
不二家側の意気込みも感じたから『50万』(!!!)の最低保証を提示した。
行けると思った。……独占できました。」

「『オバQ音頭』はね……オバQは最初、あの石川進さんの主題歌を頭とケツで2回使ってたんです。
そしたらウチの上司が「勿体ない」と言うんだね。別な曲作れ、と。
だから広瀬さん(作曲家)と、「音頭」と「数え歌」を作ったんです。
数え歌は、アニメ業界でも初めてだと思う。音頭は振り付けを我孫子(藤子A)さんが考えて」

「『オバQ音頭』は200万枚売れました。1年後に小学館の意向でコロムビアに権利を解禁して
それであっちも相当売った。けど、200万枚は(書店に卸す)ソノシートだからできたことじゃないかな。
コロムビアは当時、村田英雄の『王将』を単体で300万枚売ったとか言ってるけど、物理的に不可能です。
レコード屋は4~5000軒しか全国にないし、頑張ったって普通のレコードは、当時の技術では
月産3万枚しか作れない(つまりMAX状態のままで100ヶ月間かけないと、300万枚は達成できない)から、
それはありえない数字。オバQ音頭は、プレイヤーの普及率とかから考えても、
当時の『限界枚数』売ったと思います」
 

……アニメの話だけでも実はまだまだ枚挙に暇がないが、番組主題歌をめぐり、NHKに呼び出された際、
全レコード会社を前に啖呵を切った話とか、オンボロ円谷プロでの金城哲夫や
上原正三、大伴昌司との交流の話とか、アニメ以外まで行くと、かなりとんでもないことになった。
そういう部分の話はまたいずれ。
 
そうした中、梶原一騎名義やら怪奇大作戦やらのゴースト作詞家までもやった氏であるが、
音楽業界からはアッサリ足を洗う。

「物を作る人(クリエイター?)や、カタギの(!)商売人になりたかったです。そういう仕事じゃなかったから」
「バブリーなありえない平社員でしたから、このままだと犯罪者になると思ってました。
だって、レコード会社が10万積んだら、こっちは20万張って叩き落す。そういう世界だったから。
常にハイになっていて」

……どういう状況かは、察しが付く。そら、嫌にもなろう。
ちなみに、当時のアニソンは、全部買取だったそうである(人格権以外の著作権は放棄する、ということ)。

 

さて、実はソレガシは、朝日ソノラマが潰れる10年弱前頃か……あそこが出していた
特撮マニア雑誌『宇宙船』の助っ人ライターをしていた。確かあの本はまだ、他社から出てますけど。
その頃の編集長氏は実質お飾りで、実務編集長は、往年の阪神の名選手と同じ「村山実」さんという
ソノラマOBの方がしていたのだが、今回、もらった資料を見て、驚いた。

アニメや特撮ソノシートを橋本氏と一緒にずっと手がけていた同僚の名前こそが、
「村山実」氏だったのである。何年ぶりに見る名前か! 
講演が終わってから、橋本氏に、彼のことを聞いてみた。

「一人部署で、もう手が回らなくなって、村山が来たんですよ。
彼には、東映とか比較的楽なところをやってもらったんです
(独占案件だの切り崩しだの手塚だのの厄介方面を橋本氏がやっていた、ということ)。
今日も、来ないかって誘ったんですけど、僕と一緒だと話しづらいこともあるみたいでね(笑)
けど彼も、まだ健在ですよ(笑)。」

なんだか非常にいい話を聞けた。妙に安心してしまった(笑)。
ちなみにその村山氏は、「縫いぐるみ」としか言われていなかった、怪獣もののアレを
(実相寺昭雄などは実際、生涯そう書き続けた)「着ぐるみ」と称した元祖の人だと、
誰かに聞いたことがある。多分それは、嘘ではないと思う。
 

世の中の流行も、市場も、新語も、数人のソウルフルな人たちによって、作られていくことがある。
あまりにも語られることがなかった「アニソン事始め」。
オーラルヒストリーの面白さを、まざまざと感じた、2時間であった。

 

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