『先生を流産させる会』

映画館リハビリパート2

新メンバーさんを加えて、月例・ボンクラシネマファイトクラブ。
今月のお題は~『先生を流産させる会』

……ある人はタイトルに嫌悪感を示し、またある人は実際の事件を
別解釈して映画化したことに怒って、絶対観ねぇ宣言。そんな映画。

まぁ、その気持ちは解る。ただ、観ないと始まらんこともある。
 

インディーズとしてはかなりの上出来だった。機材の発展って素晴らしい。
昔……俺らの作ってた「フィルムの頃」のインディーズ映画って、こんな風には撮れなかった。
もはやプロの作品じゃなくても、演出と役者が良ければ劇場公開は容易な時代だ。

エッジの効いた照明と音楽でたたみかける、非常に力強い映画。
そういう意味では「演出」の才は感じる。
 

だが……「あれ!? もう終わり!?」

尺は確か61分か62分。エンドロールが妙にダラダラしてるので、
(スクロールがのろすぎる)実尺は60分弱か。

……ラスト、こういう終わり方で、いいのだろうか?
 

ただ、上映後にあった柳下毅一郎氏と監督のトークで、一気に納得した。
「ホラー映画」として観れば、全て合点がいく。

実録ものだとか、現代の病巣を描いたとか、ましてや中学生日記なのかとか
思うから、しっくり来ないのであり、ある題材を借りたホラーだと思うと、
ものすごく腑に落ちた。ここが流石の柳下節。

また、「脚本家の書いた脚本」ではなく「監督(演出家)の書いた脚本」で
あることも柳下氏は指摘。これもズバリだ。
あえてキャラにバックボーンの設定をしないということが、
この映画の場合、かえって効いている。
これが脚本家だと、絶対に設定、伏線、背景を考えるのだという。
 

とはいえ、だ。話を聞いていて監督に感じたのは圧倒的な「若さ」。
何かのパッションに突き動かされるままに「高級自主映画」を作れるのは、
今だけだ。これを「仕事」と定めた時、次の手をどう打つか。

商業資本が入った時、こういう作品は作れない。
60分のオチ無しで終わらせることも、多分許されない。

柳下氏に褒められて気分よくなっていた、若い監督。
だがここで柳下氏の絶賛を、「良くも悪くも」自分の武器にしないと。
 

しかしそう思うと、インディーズなのに破格の3時間、しかも完璧に
ガッチリと成立していた『サウターヂ』の凄みが、今更ながら思い出された。
そういう意味では、今日の映画は「一瞬で」終わってしまった。
 
 

映画会のおかげで、自分では多分チョイスしない作品の中から、
様々なものを得られているのである。

 

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