『かぐや姫の物語』

今更ながら、書く。
(観た直後に生々しい印象を引っ張ったまま書けばよかったな……)
 

さて、一部で「冗長」、「誰もが知ってる話を引き延ばしただけじゃねぇか」と言われている本作であるが、ソレガシは、とてつもない衝撃を感じた。シーン単位で「とんでもねぇ!」と思うものがあまりに多く、それは、凡百のディフォルメ技法が安易に達しうるレベルにはない。

即ち、これは「東映動画長編(『白蛇伝』を祖とした時)」の純粋後継者たる監督による、現状での「伝統芸の最高到達点」であり、戦後の「漫画映画史」の下に立脚した作品としては、完成形である。そして「終わり」なのかもしれない。サブキャラの「女童」などは、かつて、もりやすじ他の描いた「小動物系コメディリリーフ」へのオマージュとして、完全にあるように思える。

そのルーツ(東映動画長編)からあまた派生した日本の劇場用アニメ作品が(宮崎調であれ、他の作品であれ)、どのように変化を遂げていようと、それはまぁ「現実」としてある。しかし、本作は「本流の極み」なのであり(以前も書いたが)個人的には、最晩年にして高畑勲は「同じ出自を持つ宮崎駿が、絶対に越えられなかった先輩」として屹立、君臨したと思う。興行収入でどんなに差を付けられても、だ。

そして、このライバルストーリーは、この現世では終了、である。宮崎駿引退の今、次の勝負は、ない。
 

また、公開時のコピーにもあったが、「美女」というアイコンをもって論じるなら(ジブリ作品の系譜でくくれば)、間違いなく、この作品のかぐや姫のキャラは最強。「この女には惚れる」というリアリティを、宮崎作品や他のジブリ作品で感じる機会はないが、こちらには、あった。これもまた、強みである。

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なおかつ、極めるだけ極め尽くした、高畑作品の画の「意図的な省略」の技法は、「緻密さだけが作画の肝ではない」ことを雄弁に語る。「絵が動く」とはどういうことか、というアニメの原点を語るに、十分であるのだ。
 
なので、ソレガシ的には、これは大傑作である。

なお、パンフは別の意味で必読。鈴木氏以下プロデューサー2人が、8年(!)にわたる大苦闘(高畑恨み節大会)と、(みのもんたジュニアの入社ごとき一声でどうにでもなるw)日テレ……もといテレビ界のドン、故・氏家齊一郎の「大パトロンぶり」を、実に赤裸々に書いている。こういう生臭いコメントは、ヨイショ一辺倒の邦画界パンフでは、ちと記憶にないのだ。

「芸術家には、当然パトロンが必要だ」という命題にも、あらためてぶち当たった思い、なのであった。

 

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