『しあわせカモン』の細部に宿る神

かつて小生が田舎(地元岩手)のテレビ屋をしていた頃、
松本哲也君という、確か同い年ぐらいのご当地出身シンガー・ソングライターが
メジャーデビューして、色々とキャンペーンやライブ活動をした。

当時、小生の掲げてたチンケなコンセプトに「地元のヒーローを作る。
どんなジャンルであれ、メジャーシーンに立った地元民は、
徹底的に煽る!」っつうものがあり、微力ながらお手伝いをしたつもり……だった。

「孤児院(養護施設)上がり、中卒叩き上げ」というハングリーなバックボーンは、
当時の歌手の中でも異彩を放っており、そこは売らねばならない側面だった。

しかし……
実はその時、彼の母親はまだ存命であり、そして……数年後に亡くなっていた。
薬物依存の後遺症で。
そして彼は、メジャーレーベルを辞し、その後の動きは知れなかった。
小生も職を辞して東京に出た。

10年ほど経って、最近不意に、彼の自伝からなる、
その母の物語が映画になり、劇場公開されたのである。
題名は『しあわせカモン』

小生は、やはり地元勤務時代、「ご当地映画」を徹底的にリサーチした
ことがあるのだが、ぶっちゃけその感想は「少ねぇなぁ!」であり、
その後も状況は全く変わっていなかった。

そこに降って湧いた、久々のご当地映画。松本氏のことも思い出し、
トーキョーでも単館&朝一回しの悪条件だったが、足を運んだ。

行って、観て、おったまげた。
予告編のアタマに「お蔵出し映画祭」という字が出るが、
結局日本にゃ、それなりの金をかけて撮ったはいいが「劇場公開に届かない」映画はガバチョとあり、
これはそのグランプリをもぎ取って、ようやく公開まで漕ぎ着けたというのだ。

しかも映画祭への出品を煽ったのは、主役の鈴木砂羽とそのマネージャーだったらしい。
彼女にとっては、どうも並ならぬ執念を注いだ役だったようだ。
 

そして、小生は映画を観て、合点が行った。
松本哲也は、ただの「養護施設育ちのシンガー」ではなかった。

水沢(かつての岩手の市名)のホステスだった彼の母は、ヤクザと結婚し
(小沢一郎の地元として知られるこの土地は、県都盛岡と並び、岩手では数少ない
「土着のヤクザ」がいる所。競馬場があるからとも言われるが、理由は不明)、
息子の哲也をもうけるが、シャブ中と離脱を繰り返す。

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息子が養護施設に行ってる間に、獄中の夫とは離婚。別のヒモ男と同棲して、息子を引き取る。
が、そんな環境で息子がグレないワケもなく、やがて哲也は事件を起こして救護院送致。

そこでギターに開眼した哲也は、中卒と同時に上京。
苦節の末、まさかのメジャーデビューを果たし、
母子はようやく「しあわせ」になれるか……と思ったのであったが、
レコード会社の「売り方」の都合で、母親は表に出ることも、
息子のライブを堂々と観ることもかなわない
(このあたりが、一応末席として小生も関わってながら、全く知らなかった部分だ)。

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しかし、息子の成功を一途に無邪気に嬉しがる母。
だが、そうこうしているうちに、シャブの後遺症は彼女の体を蝕み……
 

と、あらすじ書いただけで、その知らなかった話やら、
当時の田舎テレビ屋=テメェの浅はかさを思い出すやらで、
少々泣けてくるのではあるが、かと言って、この映画がジメジメしているのかと言えば、
そうではない。ここが、ご当地云々抜きで、映画を単体として評価する所以である。

安直な「お涙頂戴映画」というのは、小生がイチバン忌み嫌うところであり、
それゆえに去年のワースト映画は『三丁目の夕日’64』なのである。

あらゆる暗い要素は、母親役の鈴木砂羽が、とにかく陽性な演技力で
ぶっ飛ばしている。「幸せになりたい」と願う、ただそれを願う、
失礼な言い方だが愚直で無学な田舎女のリアリティが、全身からにじみ出ていて、
「とんでもねぇ女優さんだな、この人は」とあらためて思う。

低予算でも、惚れ込んだらとことん入れ込む、
お蔵になったら公開にだって尽力する、というスタンスは、
ジョニー・デップとかに通じるものであり、そういう役者さんは
日本でももっと出てきて欲しいのだが。
 
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閑話休題。
そして、この映画には、低予算映画として最も重要な、
「小道具・ロケ場所への配慮」と「映画的省略の見事さ」があるのだ。
ここも評価点。

客というのはバカではない。スクリーンでの違和感は、物語への没入を阻害する。
かつて、みうらじゅん=田口トモロヲコンビの佳作
『アイデン&ティティ』という作品があったが、いい映画なのに
「1980年頃にの世の中には絶対ないもの」の写り込みへの配慮の無さが、
やや興を削いだのを思い出す。

再三、映画評で小生が言うことだが、「神は細部に宿る」。
低予算映画が「抜いた」ら、もうそこで終わりだと心得ねばならない。

その点この映画は、70年代~00年代までに至る編年体の話の中で、
巧みに小道具を置き換えている。ロケでも、余計なものは映さない。
そういう配慮が、できるかどうかで、映画はずいぶん変わるのだ。
 

話のキーとなる存在(これが物語の中にあるかどうか、も重要)は、
要所で出てくる「バス」の存在なのだが、岩手県南のバス会社=岩手県交通の車輌も、
時代によって使い分けている(!)。これには参った。ここまでやれないよ。
ましてや岩手県人でもないでしょ、監督さんは。

俺がガキ時分の超オンボロ「青バス」、一瞬だけあった「赤バス」、
その後、また一時期「やや新しい青バス」が入り、
ゼロ年代では東京の国際興業バス使い回しの「緑バス」、なのだ。
見事に年代で使い分けてる!
こういうことなんですよ、リアリティってのは!!
 

「映画的省略」も、また見事。
余計なエピソードには、クドクド時間を割かない。
意味無い長回しとか、唐突なベッドシーンとかがない
(官能映画じゃないから、そんなの要らない)。

省ける部分はフェードアウトしてすっ飛ばす。
それでも十分、例えば「オトコと何があったか」は解るんだから。
これは脚本も兼ねた、監督の力量であろう。
 

実に気持ちよく泣けた。
クソみたいなご当地映画ばかりだった岩手に、
(『壬生義士伝』など、実景の数カット以外はロケすらしていない。
それで日本アカデミー賞など、ちゃんちゃらおかしい)
久々に「本物のご当地映画」ができた気がしている。

ロケ地は、実際の話の舞台の水沢地区と、その隣町である我がホームタウン、
北上市街などとのミクスチャーだが、そのつながりも見事で、
地元民にしてもそんなに違和感はない。
知っててもこうなんだから、他所の人には、全くわからないはず。

ちなみに、クライマックスで石垣佑磨(大人の哲也役)が、
フザケた母をおんぶしてダーーッと歩く、非常にイイシーンは、
ウチの地元のシャッター通りアーケード(!)だ。
「あんな場所が映画になると、こんな良い感じになるのか!」と、唸るよりなかった。

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自主上映時に比べるとブラッシュアップされてるっぽいので、
この公開版が本命と言える。
 

余談になるが、更に驚いたことに、今回の「劇場公開版」のプロデューサーは
(権利保有会社のプロデューサーなので「制作」ではなく「製作」とクレジットされる)、
かの大映社長&大毎オリオンズオーナー、元祖ワンマン・永田ラッパこと
永田雅一の孫の方であった(!)

「製作 永田守」のクレジットだけでも、映画バカ的には非常にクるので、
エンドロールも気を抜かないで頂きたい。

 

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Comments

ブラシーマンさま

はじめまして。『しあわせカモン』権利元のTCエンタテインメント曽我と申します。
この度は、ご鑑賞、またすばらしい感想をいただき、ありがとうございました。

このような皆様の温かい声を聞くとお蔵から出して本当に
良かったと思います。

是非、多くの方にこの作品を良さをお伝えして行きたいと思いますので、宣伝にご協力ください。

この度は本当にありがとうございました。

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